• 生と死のフォーラム
  • 月例NA市民公開講座

    定例会場:群馬ロイヤルホテルのロゴ(入場無料)

    共催:NIPPON ACADEMY・七施精舎

    企画・運営:七施精舎・青山ハルナ事務所・七施舎

いかに生きるかを考え、やがて来たる死を学び、今をより豊かに生きるために

僧侶浅川煕信氏 市民講座「生と死のフォーラム」は2001年8月に始まりました。この講座は、さまざまな角度から、生きること、そして死ぬことについて思索をめぐらし、考える、学びの場として誕生しました。これまでのテーマは多岐にわたっています。ですが、どれをとっても、生きることの本質とは何かを基本にしています。今の社会に最も必要とされているのは、人間としての心の豊かさであり、生き方の豊かさだと思います。私たちはそろそろ、ものやお金に対する個人の過度な執着を捨てて、人は人の幸せのために生きる道、方法論を身につける時にきています。年齢や立場に関係なく、私たちは自分の中に、世のため人のために生きる部分が必要だと思います。それが豊かさなのです。「生と死のフォーラム」では信条や宗教、宗派を超えて、自立した個人の立場で話し、聴き、考えます。思考の自由な創造の場へ、あなたもどうぞお出かけください。

七施精舎主宰・僧侶 浅川煕信氏

生と死のフォーラムによせて..

愛と平和の教会の象徴

留学生と日本語の都「まえばし」を目指す学校法人 NIPPON ACADEMY は、理念である「平和・環境・共生」の実現に向けて努力する上で、人間として根幹的な死生観を、論じ学ぶ場(NA市民公開講座)の提供を通じて、少しでも、市民に貢献したいと願っています。

NIPPON ACADEMY 理事長 清水澄 (群馬ロイヤルホテル 代表)

次回テーマ案内の矢印次回のテーマ

第222回

こちらの「生と死のフォーラム」は、コロナウィルスの影響により延期とさせていただきます。
日程が決まり次第、再度お知らせいたします。

良寛さんの言葉から
生き方を学ぶ

令和2年
4月10日(金)
午前10時30分
延期

第222-2回生と死のフォーラム
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

良寛さんは宗教者(仏教)として知られていますが、実像は詩歌の達人でもありました。良寛さんの布教活動は、文芸の道で人々を教化していたと言えます。文芸の素養は父親の以南や、弟の由之にも見られます。どちらかと言うと政治や経済の分野よりは文化や教養にこそ才のあった家系だったことが理解できます。最晩年の良寛さんと貞心尼との交流は有名ですが、これも文芸の才なくしては開かなかった華ではないでしょうか。今回は、良寛さんが残した膨大な作品の中から、その一部である「生き方」にふれた言葉を選び、現代と結びつけて考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第222回

こちらの「生と死のフォーラム」は、コロナウィルスの影響により延期とさせていただきます。
日程が決まり次第、再度お知らせいたします。

仏教説話語るものⅡ

令和2年
3月13日(金)
午前10時30分
延期

第222回生と死のフォーラム
講師:東洋大学名誉教授・清浄院住職 宮内敦夫氏

誰でも穏やかに日々を送りたいものです。しかし、私たちは容易に悩みや苦しみから逃れることはできません。仏教にはたくさんの説話があります。それは、人生の生き方についてわかりやすく教えてくれるものです。今回は、いくつかの説話を取り上げてみます。そこに含まれる人の生き方に関する事柄をくみ取り、日々の人生の糧にできればよいと願います。釈迦の誕生と「唯我独尊」の故事をはじめ、「四門出游」と「四苦八苦」「降魔成道」と誘惑の克服、そしてお盆や施餓鬼の教え、地獄と極楽の食卓と共生社会についてなど、できる限り多くの説話を取り上げて、現代の私たちの問題としてお話しします。

※講師は変更になることもあります。

第221回

長生き本当幸せですか

令和2年
2月7日(金)
午前10時30分

第221回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

長生きは幸せだと思います。誰もが長寿を得られるわけではないからです。医療が発達した今日とは言え、やはり天からの賜物と考えるべきでしょう。一日でも長く生きて、高齢者が大切にされる社会を文化とするなら、長生きを個人的なことと考えないことでしょう。いくつになっても、その人なりの「世のため人のために尽くす」生き方をすることです。かつてはそれを「徳」として尊ばれていました。人は誰でも「生きる役割」が与えられています。それをまっとうすること、すなわち自分らしく生ききることに人生の本質があり、長短だけで判断することはできません。19世紀ドイツの実存哲学者、ニーチェは「人は然るべき時に死ね」と言っています。これを非情な言葉と受け取るか、本質を鋭く問うていると受け取るかです。人生を終えるときに何を遺すのか。物、金、名声、肩書、そして「悔い」。長生きには人生の中身が問われます。

※講師は変更になることもあります。

第220回

満蒙開拓

煙筒山開拓団の史実

令和2年
1月9日(木)
午前10時30分

第220回生と死のフォーラム
宮下元嗣氏
講師:群馬満蒙開拓歴史研究会会員 宮下元嗣氏

満蒙開拓とは満州国・蒙古国の開拓をさした言葉で、日本の移民政策でした。1930年代当初、27万人超の日本人が移住して行きました。日本は満州国に傀儡国家を作り、現地を侵略する形で農業経営を行なったのです。私が生まれた満州国の煙筒山開拓団は現在の中国の吉林省にありました。しかし敗戦を境に移民はすべてを失い、奪われ、難民と化したのです。そして祖国を目指して引き揚げる中で多くの死者を出し、行方不明者は数知れず、シベリア抑留者、中国残留孤児という悲劇が生まれました。そして想像を絶する苦難の中で日本に引き揚げてきたものの、住む所はなく、国内の荒れた土地に開墾という形で入植させられました。これらは棄民の歴史でもあったのです。当事者だからこそ語れる史実をお話ししたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第219回

年末一日想う

令和元年
12月6日(金)
午前10時30分

第219回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

短編小説『年末の一日』は、文豪・芥川龍之介の最晩年の傑作です。私は芥川に私淑して生きている者ですが、とくに最晩年の作品には魂が震えるような共感を覚えます。 『年末の一日』には、芥川がさまざまに追い詰められて、やがて自死してゆく直前の心象風景と、人間としての弱さを正直に吐露した生き方が描かれています。師の夏目漱石の影響があると思いますが、「仏の教え」に感化された部分も少なくありません。それが物事の本質を鋭く見抜く素養になっているのかもしれません。この短編にはそれらがぎゅっとつまっているように思えます。芥川が生きた明治時代の後半から大正、そして昭和の初めにかけての時代は決して明るくはありませんでした。現代も似ているのではないでしょうか。今日の日本社会は過去の成功体験を引きずったまま、漂い続けているように思えます。年末にあたり、ひとつ謙虚になって、芥川を追い詰めていった「時代」と現代社会の相似性を考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第218回

仏教説話語るもの

令和元年
11月1日(金)
午前10時30分

第218回生と死のフォーラム
宮内敦夫氏
講師:東洋大学名誉教授・清浄院住職 宮内敦夫氏

誰もが穏やかに日々を送りたいと思っています。しかし、私たちは容易に悩みや苦しみから逃れることはできません。仏教にはたくさんの説話があります。それは、私たちに人生とは何か、また、人としての生き方について分かりやすく教えてくれるものとして今日に伝わっています。そこで今回は、いくつかの説話を取り上げてみたいと思います。そこに含まれる、人としての生き方に関する事柄をくみ取り、日々の人生の糧にできればよいと願います。釈迦の誕生と「唯我独尊」の故事をはじめ、「四門出游」と「四苦八苦」「降魔成道」と誘惑の克服、そしてお盆や施餓鬼のこと、地獄と極楽の食卓、共生社会などについて、できるがきり多くの説話を取り上げてみます。説話の中に、現代の私たちが直面しているさまざまな問題への解答や示唆があることを発見できるでしょう。

※講師は変更になることもあります。

第217回

「壁ではなく

外国人移住労働者の苦悩と向き合う

令和元年
10月4日(金)
午前10時30分

第217回生と死のフォーラム
長澤正隆氏
講師:特定NPO法人 北関東医療相談会(アミーゴス)理事・事務局長、カトリックさいたま教区 終身助祭長澤正隆氏

日本では人手不足が続いています。現在、国内の生産工場や建設、福祉の現場はもちろん、新聞配達、コンビニに至るまで、多くの仕事が外国人労働者の手によって支えられています。政府は昨年、表向きは移民政策を行なわないとしていましたが、結局、非熟練分野における外国人労働者の受け入れ拡大を進め、社会からの注目を浴びました。それに続いて在留資格の特定技能が創設され、技能実習生制度の延長線上に外国人労働力を位置づけました。これは「拙速すぎるのでは」「在留外国人の管理強化や非正規滞在者の排除をさらに強化するのでは」と危惧されています。今、社会の中で格差が広がっています。日本人も多くが生活は楽ではありません。ましてや外国籍の人たちです。移住労働者の中には生活に困窮したり、健康や持病に不安を抱えながらも言葉の壁、制度の壁によって、人として当たり前に生きることすらできない人たちが多くいます。これは他人事ではありません。その人たちの現実は翻って私たちの現実でもあるのです。私たちは何をどう考えて生きてゆけばよいのか、多くのことを皆さんと共有したいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第216回

引きこもり社会
仏の教え

令和元年
9月5日(木)
午前10時30分

第216回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

殺傷事件が続いています。5月に川崎で起こったバス停前の通り魔殺人事件、6月に練馬区で起こった、高齢の親が無職息子を刺殺した事件、7月の京都アニメーションスタジオ放火事件などです。息子を刺殺した父親は、よほどの覚悟の上での行動であったと思います。しかし、そこまで行く前にもっと他とつながることはできなかったのかと思うと、非常に残念ですし、これらを自分たちとは無関係と思ってしまうなら、本質を見逃すと思います。先のふたつの事件では「引きこもり」の問題が取り上げられていました。私は別なことに注目しています。それは、問題は起こさないものの、属している組織や集団の中に埋没して、判断停止状態に陥っている人たちのことです。凶悪な事件の発生とは無縁なのでしょうか。「仏の教え」では、すべての事象は皆、つながっていると教えています。事件は社会と無関係に突然、引き起こされるものではなく、事件を起こす人と起こさない人はまったく違うと切り離すならば、凶悪な事件はこれからも止まないでしょう。自分だけが、自分の家だけが良ければいいという社会、他人のことに無関心な社会では、孤立した人は救われません。解決する道はどこにあるのか、私たちはどう生きたらよいのかを「仏の教え」の見地から考えます。

※講師は変更になることもあります。

第215回

電気が使えなくなる日
~科学者の文明哲学~

令和元年
8月2日(金)
午前10時30分

第215回生と死のフォーラム
五十嵐高氏
講師:元群馬大学大学院教授 五十嵐高氏

今日、私たちは大きな局面を迎えています。そのひとつが文明の利器に対する自然の脅威です。近代文明は電気と共に発達したと言っても過言ではありません。現代人は、電気のない生活は想像もできないでしょう。今や、電気は社会に不可欠なものとなり、万一、電気が供給されなくなれば、水道水から銀行のオンラインまで止まります。停電が長く続けば、社会機能がメルトダウンするでしょう。そんなことは想像したくもありませんが、事実です。
しかし百年前の日本は、電気のない生活を当たり前にしていたのです。文化も成熟していました。さらに見事な循環型社会を実現していたのです。ここに着目すれば、危機に対する答えは自ずと出てきます。これからも科学技術は脆弱さを伴いながら、ますます発達することでしょう。科学で考える人間の幸福とは何か、21世紀の科学哲学のお話です。

※講師は変更になることもあります。

第214回

ヘイト・スピーチに対する
法規制を考える

令和元年
7月5日(金)
午前10時30分

第214回生と死のフォーラム
下山順氏
講師:あおば法律事務所 弁護士下山順氏

2000年代にインターネットが普及するようになると、ネット上に人種差別を助長するかのような発言が蔓延するようになりました。2003年に韓国ドラマが流行すると、2005年には『マンガ嫌韓流』が爆発的に売れるという社会現象が起きました。2007年には「在日特権を許さない市民の会」が設立され、2009年12月にはメンバーらが京都朝鮮人学校前で街宣を行ない、「朝鮮学校を日本から叩き出せ」「犯罪朝鮮人」といったヘイト・スピーチ(憎悪表現)を行なうという事件が発生しました。2012年には竹島をめぐって排外デモが活発化し、新大久保において街宣を行ない、韓国系の店の看板を蹴飛ばしたり、店員に対し「ゴキブリ」「殺すぞ」などと罵倒するという犯罪行為も発生しました。こうしたヘイト・スピーチは民事裁判において違法な人種差別行為と認定され、また、刑事裁判でも侮辱罪等として処罰されていますが、それでもなお日本社会には蔓延しており、解消されていません。保守論客がいわゆる「嫌韓本」を出版すると売れるために、書店には人種差別を助長するかのような本が数多く並ぶという異常な事態も発生しています。もっとも、こうしたヘイト・スピーチの蔓延は現在の日本に特有なものではありません。かつてナチスはユダヤ人に対し、白人は黒人に対し、日本でも関東大震災の際には在日朝鮮人に対して行なわれました。そして、デマや流言を含むヘイト・スピーチが人間の憎悪を駆り立て、理性を失わせ、その結果としてヘイト・クライム(憎悪犯罪)が引き起こされました。2016年に相模原市の知的障害者福祉施設で発生した大量殺人事件もまたヘイト・クライムといえます。こうしたヘイト・スピーチを行なう人間の心理はどのようなものなのでしょうか。ヘイト・スピーチを生まないために、私たちは日々の生活の中でどのようなことに気をつけなければならないのでしょうか。厳しく法規制を行なうべきという立場と、表現の自由を保障するために法規制は慎重であるべきという立場があります。ヘイト・スピーチとは何なのか、法規制はどうあるべきなのか、皆さんと考えたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第213回

日本世間葬儀式

令和元年
6月6日(木)
午前10時30分

第213回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

皆さんは世間というとどんな印象を持たれるでしょうか。たとえば「世間体」「世間並」「世間知らず」「世間が狭い」といった、少し後ろ向きな印象の言葉から、「世間様」といった、肯定的な言葉までさまざまだと思います。日本ではすでに奈良時代から世間という概念があったと言われていますが、それは官僚制とだぶって考えられていたようです。 今日、世間という概念が現実に力を発揮する典型例のひとつに「葬儀式」をあげていいと思います。葬儀式そのものから戒名、お墓、年会忌に至るまで、見えない力に束縛されているような違和感を感ずることはないでしょうか。こうするものだという無言の圧力ととらえる人もいるかもしれません。 一般大衆が葬儀式、戒名、お墓、年会忌という「かたち」を積極的に受け入れるようになったのは江戸時代中期以降です。それまでは特権的階級でなければ、「かたち」が優先する仏事行為とは無縁だったと考えてよいと思います。お弔いをしなかったと言っているのではありません。むしろ現代の「かたち」だけのものよりずっと個性的で中身も濃かったと見るべきです。今日、よく見られるようなかたちにまとめられていった背景には、見栄や虚栄心、優越感が深く介在してきたことも見つめる必要があるでしょう。弔うということは何なのか、現代の私たちはもう一度、深く考える時を迎えていると思います。

※講師は変更になることもあります。

第212回

法則に学ぶ、氣・心・体

令和元年
5月9日(木)
午前10時30分

第212回生と死のフォーラム
松下則子氏
講師:癒しの氣功教室・氣功トレーナー 松下則子氏

人生100年時代と言われるようになりました。長生きすることは良いことです。誰もが健康で長生きすることを願い、いろいろな健康法を実践しています。しかし、大事なのは生き方を含めてその中身でしょう。長く生きれば、それでいいというものでもありません。また、どんなに良いと言われることでも、がんばりすぎたり、やりすぎてしまっては逆の効果を生みかねません。自然界には法則がありますから、身体の原理、心と体の関係を知ることが大事です。そこで今回は、陰陽五行説を基本とした、体の中の氣の流れから身体と心について学びたいと思います。すべてはつながっており、お互いが影響をし合っていること、そして衣食住を含めた日常生活の影響力について考えてみたいと思います。さらに近年、注目を集めている「指と身体」や「笑いと氣功」など、多角的なお話をうかがいます。

※講師は変更になることもあります。

第211回

日本はもともと多文化

ともいき社会

平成31年
4月16日(火)
午前10時30分

第211回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

日本は極東の島です。古代には、北から西、そして南の各地からさまざまな民族が渡来して住みつきました。その人たちが今の日本の祖先となってきたのです。「まれびと(稀人)」という言葉は、まれに来る人という意味ですが、日本にはその後も稀人や他からの文化を受け容れて大事にする風習がありました。受け容れることで文化は発展し、成長してきたのです。現代社会は、グローバル化と同時に分断と排除が進んでいます。人、もの、お金、文化が国境を越えている一方で排除が進んでいるのです。日本も例外ではありません。均質化して内向きになっていてはいけません。外国からの人をなかなか受け入れられないのに、働き手としては認めざるを得ない、それで共に生きる社会になれるでしょうか。現代において、多くの異なる文化が本気で共に生きるとはどういうことなのか、考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第210回

「感動、生きる力」

絶望から生還した星野富弘さん

平成31年
3月7日(木)
午前10時30分

第210回生と死のフォーラム
聖生清重氏
講師:富弘美術館 館長 聖生清重氏

富弘美術館の入館者は、開館28年目で累計680万人を超えました。全国各地、海外を含む「星野富弘 花の詩画展」開催も247回を数え、その累計入場者は約300万人に達しています。 来館者の多くは「良いものを見せていただきました」「感動しました」「また来ます」という感謝の言葉を残し、「富弘作品」に励まされ、勇気づけられ、癒されて帰路につかれますが、富弘作品に胸の奥底を揺さぶられた心のありようは「感動」だと思います。 感動は、実は「生きる力」なのです。あのナチスの強制収容所を生き抜いたユダヤ人の精神科医は、著書の中で「無感動のあとにくるものは死のみ」と記しています。さらに「ユーモアとは、人間が人間性を失いかけるような局面の中では人間の魂を支えるもの」とも記しています。富弘作品の神髄は「いのちの尊さ・いのちの輝き」にありますが、そうした作品に交じって「くすっ」と笑える作品もあるのです。星野さんも、9年に及んだ入院中の苦しい時、そのちょっとした「笑い」に支えられたのです。 四肢の自由を奪われ、絶望の淵に沈んでいた星野さんは、どのようにして新たな生きる希望をつかむことが出来たのでしょうか。「生きることが描くこと、描くことが生きること」、その星野さんの歩みから感動が生きる力であることをお伝えしたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第209回

「たたかう良寛」

つらぬく生き方

平成31年
2月1日(金)
午前10時30分

第209回生と死のフォーラムの様子
講演する浅川氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

良寛さんは江戸時代後期の禅僧です。たくさんのエピソードがあることでもよく知られていますが、その生涯はまだ不明の部分が多い人です。子供と手毬をついたり、かくれんぼをして遊んだ話や貞心尼との交流は一部であり、推測やイメージによって作られていった「良寛さん像」が独り歩きしていることも考えられるわけです。 そこで今回は、良寛さんを別な視点から見てみたいと思います。そのひとつは、反骨の人だったということです。良寛さんは後半生において、徹底して藩や宗派・教団というものから距離をおいて生きたのです。組織や集団から離れて、自分の生き方をつらぬいたのです。これが良寛さんのひとつの実像です。日々の衣食住に不自由しても、妥協はしませんでした。 良寛さんブームが起こった時期は、日本の高度経済成長時代と重なります。ファンも増えましたが、上辺だけの現象では下火になるのも早いです。そのことも考える必要があります。良寛さんの生き方に学ぶとしたら、まず、私たち自身が自らを顧みなくてはなりません。これはやさしいことではありません。長いものに巻かれず、大樹の陰に隠れない生き方、信念をつらぬくとはどういうことなのか、今こそ良寛さんに学ぶことはたくさんあるのです。

※講師は変更になることもあります。

第208回

作者が語る、
小説『死の川を越えて』

~差別と偏見の中に見る人間の光~

平成31年
1月8日(火)
午前10時30分

第208回生と死のフォーラム
中村紀雄氏
日本ペンクラブ会員・群馬県日本中国友好協会会長 中村 紀雄 氏

およそ一年にわたって上毛新聞に連載された小説『死の川を越えて』は、ハンセン病と闘う人々の物語です。あらすじを紹介しますと、「死の川」というのは草津の強酸性の流れのことで、あらゆる生命の存在を許しませんでした。この川の辺に、助け合って生きるハンセン病の人々の集落があり、集落の少年、正助は万場軍兵衛を訪ねて「俺は人間として生きたい」と言います。すると軍兵衛は「この集落からはハンセン病の光が発している」と不思議なことを語ったのです。物語の背景は戦争の時代です。ハンセン病の患者は国辱とされ隔離されていきました。この隔離政策の象徴が草津に作られた悪魔の監獄「重監房」でした。時代は遷り、日本は戦争に敗れ、人間尊重の「日本国憲法」が誕生しました。万場軍兵衛は「憲法を活かし国を相手に裁判をせよ」と言い遺して世を去り、ハンセン病の元患者たちは訴訟の場で力を合わせるのです――。差別と偏見の根源にあるものは何か、なぜ、それは今も止まないのか。法は誰のものなのか。私たちの問いはまだ続いています。

※講師は変更になることもあります。

第207回

大死一番 年末を生きる

平成30年
12月6日(木)
午前10時30分

第207回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

今年もさまざまなことがありました。まだ、これからも大事が待ち受けているかもしれませんが、自然災害、内外の政治、社会的事件、人口の減少、労働力の不足、文化や科学分野での日本人の活躍など、皆さまはどんなことを思い浮かべるでしょうか。 気がつけば、師走が目の前です。今年一年のありようを整理する時期を迎えます。この年末をどう生きるか、生ききるか。これは自らの人生が試されることでもあります。この先を惰性の延長上で生きるのか、それとも今から少しでも成長したいと思うのかです。これは年齢や健康の状態、お金のあるなしに関わらず、すべての人に平等です。 現代の日本社会は、何かを始めるときに「否定すること」から始まりがちです。それだけ後ろ向きということなのでしょう。そこから建設的な物事がどれだけ生まれるでしょうか。年末を生ききりましょう。新しい年には新しい目標を立てて、それに向かって生きましょう。そのための心の準備と内省、助走の時期が年末なのです。

※講師は変更になることもあります。

第206回

ご先祖さまと共に生きるⅡ

~仏事についての解説をいたします~

平成30年
11月7日(水)
午前10時30分

第206回生と死のフォーラム
佐光慈覚氏
講師:藤岡市 光明寺住職 佐光慈覚氏

私たちは、生まれてきたときは「真っ白な心(悟りの心)」を持って、この世に現れます。その私たち人間は、この地球上で最も弱い生き物です。そして多くの人との出会いによって、真っ白だった心がいろいろな色(煩悩)に染まってゆきます。多くの皆さまが毎日、お仏壇に仏飯をお供えし、ご先祖さまに手を合わせておられると思いますが、私たちが煩悩を抱いたままでは、真っ白な心を取り戻したご先祖さまに私たちの思いが届きません。ですから、今ある煩悩を取り除かねばなりません。仏事の作法にそれぞれ意味があるのは、そういう理由です。そこで合掌の意味、鈴(りん)の鳴らし方や回数、お線香をお供えする本数、数珠(念珠)を擦る意味、お経や真言をお唱えする回数などについて、実演を交えながら、仏事全般にわたるお話をしてみたいと思います。なお、百八珠の数珠をお持ちの方は当日、ご持参ください。

※講師は変更になることもあります。

第205回

何がどう変わったのか

~何も変わっていない~

平成30年
10月4日(木)
午前10時30分

第205回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

オウム事件の死刑囚13名に死刑が執行されました。二度に分けたとは言え、一挙に執行されたものとしては、まれに見る規模となりました。私は、オウム事件を「日本社会が必然的に生んだ問題」ととらえています。しかし、「ごく一部の狂気集団が起こした犯罪」というだけの見方もあります。むしろ、多数かもしれません。それが、一挙に処刑した原動力になっているのかもしれません。オウム事件はさまざまなことを示唆してくれました。私は、今日の社会における「カルト的なるもの」について考える、大きなチャンスにすべきだったと思っています。各国で進んでいる死刑廃止の動きについても、議論は進みませんでした。日本社会が今よりもっと魅力的であったなら、オウム真理教はまた違った集団であったかもしれません。その本質的な部分の解明を怠って、社会(世間)から取り除くことが主眼だったとすれば、根本的な解決になりません。ということは、オウムのような問題は、形を変えて再び起こる可能性があるということです。むしろ、私たちの社会(世間)はどう対応したのか、その民度が問われているのです。カルトを生むものは何か。さらに大量処刑が社会にもたらすものは何なのか。それを考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第204回

排除ではなく包摂を、壁ではなく

~「同」から「和」への転換を求めて~

平成30年
9月5日(水)
午前10時30分

第204回生と死のフォーラム
オリビエ・シェガレ氏
講師:カトリック渋川・沼田・中之条教会主任司祭、東京真生会館研究員 オリビエ・シェガレ氏

私が50年前に来日した時、若者や知識人の間では「同」の発想からの解放を訴え、「差異」の思想を主張する「現代思想」が盛り上がっていました。ですが、この思想は希望のない虚無主義にたどり着いたためか、今は特に若者の上に影響が薄くなってきた気がします。 しかし、世界は今、民族や宗教アイデンティティの誇張と、それに伴う移民の締め出しや国境の閉鎖などといった、いわゆる「同」の発想が欧米を中心に再び見え始め、世界の平和を脅かしています。向かい合い、対話することを諦めて「同」の発想に逃げるのは、日本を含めて世界のどの国や宗教のリーダーには誘惑であり、排除や不寛容につながるものです。 今日こそ、日本の宗教に大きなインパクトがあった「和」の思想を再発見し、その普遍的な可能性を探るときです。「排除ではなく包摂を、壁ではなく橋を」です。人類一致の課題を共に考えたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第203回

日本社会「平和」を問う

平成30年
8月2日(木)
午前10時30分

第203回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

今日、私たちが最も考えられなければならないことのひとつは、「加害性の自覚と平和」の問題です。第二次世界大戦において、日本は単なる被害者ではありませんでした。ヒロシマ、ナガサキを見れば、日本は原爆を投下された唯一の国であり、確かに戦争による被爆国ですが、イコール戦争の被害国だけとは言えません。 戦前、戦中、戦後の日本の歩み方がどんなものだったのか、私たちは注視する必要があります。私たちは何をして、何をしてこなかったのか、そしてなぜ、真実を見ようとしないのか、半世紀以上を経た今、渦中にいては見えなかったもの、見過ごしてきたものを直視するときでしょう。「平和の花」を咲かせるためにも。

※講師は変更になることもあります。

第202回

国際社会の日本人考

平成30年
7月5日(木)
午前10時30分

第202回生と死のフォーラム
宮内敦夫氏
講師:東洋大学名誉教授・清浄院住職 宮内敦夫氏

世界が平和に、みな仲良くやっていきたいと誰もが願うところです。しかし、人は育った気候風土をはじめ、育った文化により、ものの考え方や行動様式は異なります。世界の人々が仲良く平和に共生するためには、互いに相手の風俗習慣、文化を知り、相違を認めることが大切です。異文化を理解し、異文化と交流するためには、まず「私たち日本人はどういう国民性を持っているのか」を知る必要があります。異文化理解と共生社会の観点から日本人を考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第201回

仏式葬儀戒名のつながり

平成30年
6月6日(水)
午前10時30分

第201回生と死のフォーラム
浅川煕信氏
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

現在、仏式葬儀と戒名は一対のものと考えられていますが、それは本当に正しいことでしょうか。日本仏教の歴史をひもといてゆけば、答えは自ずと出てると思います。とくに近世史は重要です。私達は今日、目の前に繰り広げられる現実を絶対視しがちなのですが、現在の仏式葬儀と死後戒名はきわめて新しい現象なのです。
仏教徒であるなら、もっと仏教と深く向き合う必要があります。さらに、自分は世間的な意味で人並みでありたい、人より上でありたいと思う心が、葬儀や戒名においても物心両面で差別を生み、格差を助長させていることを忘れてはなりません。画一的、形式的であることと不平不満、不信感は一体です。優越感の底にあるものは何でしょうか。私たちはこれらに本気で向き合う必要があります。

※講師は変更になることもあります。

第200回

記念

原点は、自分で考えること

平成30年
5月9日(水)
午前10時30分

第200回生と死のフォーラム
200回記念の花束
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

18年前のことになりますが、葬送と墓をテーマにしたシンポジウムを主催したことがあります。タイトルは「弔うということ 墓というもの」でした。当時とすれば斬新な内容で、パネラーもその道の泰斗ばかりです。時間は3時間余。会場は多くの聴衆で埋まりました。最後に受けたいくつかの質問の中でこういうものがありました。「何が良い葬式で、何が良い墓なのか、ひと言で言ってくれませんか」。これに対する答えはないのです。それを自分で考えるために開いたシンポジウムだからです。現代の世相がこれに象徴されていると思います。本質は何か、それをつかんで生きることを忘れてはなりません。自分の頭で考え、自らの意思で行動する、そのためにさまざまな学びの場があります。生きることと考えること、学ぶことは一体であり、一生続きます。そして単に継続することと成長は同じではないことも忘れてはならないのです。

※講師は変更になることもあります。

第199回

我流 平和に向けて諸々

平成30年
4月4日(水)
午前10時30分

第199回生と死のフォーラム
現在展開中の事業についても語る清水澄氏
講師:学校法人NIPPON ACADEMY 理事長 清水澄氏

今、情報化社会の最終章が明らかになりつつあります。そういう中で確かなことは「学ぶ」ことの「大切」さです。重要なのは反対の立場に学ぶことであり、私たちは異教である神父・牧師・イマーム(イスラム)等の聖職者を友人として迎えることです。とりわけ、イスラム(平和を意味)とは平和そのものであり、たとえ宗教上の理由で交わりを避けることがあっても、相互理解はきわめて必要であり、過去を反省するならば、それが日本の責務(唯一の資格者)であると思えてなりません。 大切なのは表現力と理解力です。なぜ金さんは身勝手なことを言うのだろうか?なぜトランプさんは金さんを激しく批判するのだろうか?確かなことは、どんなに相手を批判しようが、批判をすればする程に自らの表現力と理解力の欠落が故の問題が露呈するということです。天に唾する「今」を変えてゆかなければならないと考えます。 情報化社会の結末として、価値観そのものが問われる時代となります。間違えれば人類は動植物を道づれに破滅するわけですから、どんなに困難であろうとも、平和を続けられる価値観を築いてゆかなければなりません。そこで大切なのは、明日を担い明日に責任を負ってゆく若者と、過去と現在に責任を持つ老年者の「学び」です。夢に終わらせるのでなく、実現のための方策が必要なのです。

※講師は変更になることもあります。

第198回

今の時代をどう生き、
次世代引き渡すのか

平成30年
3月7日(水)
午前10時30分

榛名まちづくりネット代表、芹澤優様
芹澤優氏
講師:榛名まちづくりネット代表・高崎市中室田町会長 芹澤 優氏

私は戦後生まれの団塊の世代。地域には子供がいっぱいいて、食べるために闇雲に生き抜いた。しかし生業がほとんど同じであったから、助けられたり助けたりと「ゆい」の精神で、協働して地域を支え合った。着る物は祖母や母親が作り、食べる物も家族みんなで手作りし、分かち合って食べ、家も大工さんと一緒に作った。いわゆる自給自足である。自立した暮らしが当たり前の社会だった。 しかし、早期の戦後復興策として、洗脳されながらのアメリカナイズで火がついて、「三種の神器」(洗濯機・テレビ・冷蔵庫)を買うために汗だくになって働いてきて、現在がある。急激に経済成長したために日本人が古来より創ってきた大切なもの、人としての倫理や社会構造の良い部分、システム、文化、産業などを捨ててきて70余年、今、後ろを見たら誰もいなかった? 切り捨ててきたことがたくさんあるのです。これで良かったのですか? 私たちは今、いろいろな問題を抱えています。これで、日本は世界の先進国なのでしょうか? みんなで考えてみましょう。

※講師は変更になることもあります。

第197回

脱「惰性良寛」

良寛さんを生きよう

平成30年
2月6日(火)
午前10時30分

第197回生と死のフォーラムお茶会
終了後のお茶会(群馬ロイヤルホテルにて)
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

実は、良寛さんの一生の詳細はよく分かっていません。たくさんあるエピソードも傍証などによる推測の部分が多く、それが独り歩きしていると言わなければなりません。このことは良寛さんを考えてゆくときに重要です。 「良寛ブーム」というものがあるとすれば、その中身をしっかりと検証してゆく必要があるでしょう。ひとつは、良寛さんが商品化されているという指摘です。 良寛さんの生き方が尊ばれるのは大変に喜ばしいことです。しかし、それは額に入れて飾っておくようなものではなく、手本にして生きる、それが大切なのだと思います。その本質は「少欲知足」の生き方です。私たちが少しでも良寛さんのように生きようとすることで社会が変わるならば、良寛さんは現代に甦るに違いありません。 良寛さんは実は反逆の人です。現代社会は良寛さんが生きた時代、江戸末期とよく似ています。もし、それを見ないで、良寛さんを唱えているだけでは、現代社会の問題はそのままでしょう。

※講師は変更になることもあります。

第196回

生きる 死後行先

~包括的な福音について~

平成30年
1月19日(金)
午前10時30分

第196回生と死のフォーラム
ジェームス・ピーターソン氏
講師:日本聖契キリスト教団宣教師 ジェームス・ピーターソン氏

死後のことを心配するのは文化、時代や信仰を超える普遍的なテーマです。キリスト教も時代や状況によっては、死後のことに焦点を合わせることもありました。「どうすれば天国に行けるのか」「何をすると地獄行きになってしまうのか」と言った問いにやたら注目することもあったのです。イエス・キリストの十字架も、多くの神学的解説により人間の罪の赦しをもたらす側面が強調され、その目的は「人間を地獄から救い、死んだ後に天国に行けるためである」と、多くは理解されてきました。

しかし近年は、その理解がいくらか変わってきています。日本では3.11の災害も大きな要素となっていますが、多くの教会や教団において、キリスト教の中心的なメッセージである「福音」そのものを再検討することに至っています。教会が人々に伝え、また社会において実行していくべきことは何であるのか。「罪の赦し」と「死後の行き先」を語るべきなのか、それとも「福音」の理解を拡大し、今、生きるこの世のことにも考慮すべきなのか。これは「包括的福音」と言われ、多くの教会で徐々に受け入れられています。キリスト教の姿を大きく変えている出来事について考えてみたいと思います。

※講師は変更になることもあります。

第195回

善因善果、悪因悪果

終わりが良ければすべてが良いわけではない

平成29年
12月4日(月)
午前10時30分

第195回生と死のフォーラム
参加者全員で合掌
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

よく言われる「終わり良ければすべて良し」は「結果がすべて」と相通じています。前向きのように聞こえますが、その中身は、過程はどうなのか、立ち止まって考えてみる必要があるでしょう。 今の時代は、戦後の高度経済成長下に有頂天になった社会が真実の姿を現しているのではないでしょうか。物質主義、商業主義は、物事の本質をすり替えてしまうのです。それが肥大化されてゆく中で、自分の頭で考えることをしなくなり、お任せする体質が定着してゆく、これが理論的な柱になったのです。

「仏の教え」では、因果応報を説いています。「結果がすべてで、終わりがよければ、それで良い」とは考えません。私たちは謙虚にこの一年を顧みて、その中身と過程を検証することが重要です。結果が良いとしても問題の多い一年だったかもしれませんし、納得のゆかない結果であったとしても、中身によっては次につながる可能性は大きいのです。

※講師は変更になることもあります。

第194回

ご先祖さま生きる

平成29年
11月6日(月)
午前10時30分

第194回生と死のフォーラム
鈴(りん)の鳴らし方を教える浅川講師
講師:藤岡市 光明寺住職 佐光慈覚氏

「人間は二度死ぬ」という言葉がありますが、私たちは昔からご先祖さまと共に日常生活を送っております。
皆さまは毎日、お仏壇に仏飯をお供えし、ご先祖さまに手を合わせておられると思いますが、ほとんどの方がこの作法の意味を知らないまま行なっているのではないかと思います。そこで、合掌の意味、鈴(りん)の鳴らし方や回数、お線香をお供えする本数、数珠(念珠)を擦る意味、お経や真言をお唱えする回数などについて、実演を交えながら、仏事全般にわたるお話をしてみたいと思います。
また、現在、霊場巡りをされている方、計画をされている方もおられると思いますので、お参りの仕方や必要最小限の持ち物など、正しい霊場(札所)巡りについて、解説をいたします。なお、百八珠の数珠をお持ちの方は当日、ご持参ください。

※講師は変更になることもあります。

第193回

身不浄観 食不浄観

誰にでも今からでもできる修行

平成29年
10月2日(月)
午前10時30分

第193回生と死のフォーラム
講義中の浅川氏、フォーラムの様子
講師:七施精舎主宰 浅川煕信氏

不浄観とは「観法」の修行形態のひとつです。修行と言うと滝行や山駆け、座禅、行脚、断食などの身体的なものを連想するかもしれません。ですが内面的な「観法修行」も重要です。それは「どんなに立派な人や絶世の美女でも、やがては老いて、病を得て、死んでゆく」「その身体は腐り、亡びる」、その過程を想像して観察し、実相を知る行です。これは食に関しても同じことです。「豪華で美味、贅沢な食事も、食べて消化された後はすべて汚物となって排泄される」、この実相を知るのです。

私たちはどうしても外見に惑わされます。自分にとって都合のよいものには変わってほしくないと願うものです。しかし「仏の教え」では、あらゆるものは変わりゆく哲理を教えています。私たちはその現実をなかなか直視できないので、こだわり、苦しむのです。今から、誰にでもできます。「身不浄観、食不浄観」を常に自らの脇に置いて生きることは、今日的に最も重要な生き方のひとつだと思います。

第192回

ハンセン病

負の歴史を直視し、次世代に継承する

平成29年
9月4日(月)
午前10時30分

第192回生と死のフォーラム
第192回フォーラムの様子
講師:群馬大学社会情報部教授 西村淑子氏

日本のハンセン病隔離政策は、1907年(明治40)年に始まり、軍国主義の台頭とともに徹底されました。戦後、特効薬の普及に伴い隔離の必要はなくなりましたが、国は1996(平成8)年まで、隔離政策を継続しました。国の誤った政策により患者やその家族は筆舌に尽くしがたい苦しみを味わいました。ハンセン病に対する根深い偏見・差別から、今もなお、本名を名のることのできない入所者もすくなくありません。

全国に13ある国立のハンセン病療養所の入所者は1,577人、平均年齢は84.8歳に達しています(平成28年5月1日現在)。群馬県草津町にある栗生楽泉園でも、入所者の減少と高齢化が進んでおり、ハンセン病をめぐる負の遺産をいかに継承するかが大きな課題となっています。

「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」。これは、元ドイツ大統領ワイツゼッカー氏の有名な言葉です。現在、世界中で秩序や価値観が崩れ、社会が不安定になり、危険なナショナリズムが台頭しています。そのような時代だからこそ、二度と過ちを繰り返さないために、負の歴史を直視し、次世代に語り継ぐことが求められていると思います。

2016(平成28)年2月、群馬大学は栗生楽泉園及び同園入所者自治会と包括的事業連携の協定を結びました。群馬大学社会情報学部のハンセン病問題への取組みについて紹介しながら、これからどのように取り組んでいくべきか、地域の皆様と一緒に考えたいと思います。

※本講座は愛と平和の教会の支援を受けた事業であり、宗教活動ではありません。