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へいわ 845

学校法人NIPPON ACADEMYでは、NIPPONへいわ学院(2017年10月1日開校)を記念し、「へいわ」の名の下に、毎週水曜日の8:45から8:55までの間、へいわのためのミニセミナー、「へいわ845」を開催します。

講師:中村紀雄名誉学院長

第71回 へいわ845 平成30年12月5日(水) 宗教とへいわ その5

マチュピチュ
マチュピチュの遺跡

コロンブスの新大陸発見と共に多くの原住民は殺され、長く続いた王国や文化が滅ぼされました。その一つがインカ帝国です。私はマチュピチュの遺跡に立って涙を流しました。白人はキリスト教の布教を名目にして侵略と殺戮(さつりく)の限りを尽くしました。注目すべきことは同時に多くの新しい栽培植物がヨーロッパにもたらされ、人々の飢えを救いました。例えばジャガイモ、トウモロコシ、サツマイモ、トマト、タバコなど。人種、宗教、肌の色、これらによる差別と偏見は永遠の課題で今も変わりません。壮大な歴史のドラマを材料にして平和の難しさと尊さを学びます。

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第70回 へいわ845 平成30年11月28日(水) 宗教とへいわ その4

コロンブス、イラスト
コロンブス、イラスト

宗教改革を機にキリスト教は2つに割れました。旧教(カトリック)はアジアや新たに発見された新大陸で布教に力を入れました。コロンブスの新大陸発見は、原住民にとっては壮大な悲劇の幕開けでした。発達段階の異なる異文化の遭遇が何をもたらすかは宇宙時代の地球人の未来を暗示するかのようです。コロンブスは地球が丸いことを知っていました。彼の船出の動機は黄金の国ジパングを求めることでした。白人たちは原住民を人間とは見ていなかったのです。布教と侵略が一体となってやがて殺りくの限りが行われます。1492年のサンサルバドル到着はその一歩でした。

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第69回 へいわ845 平成30年11月21日(水) 宗教とへいわ その3

マルティン・ルターイラスト
マルティン・ルター、イラスト

キリスト教は世界宗教に発展し、絶対的な権力を持つようになると共に、堕落し腐敗し、かえって人々を苦しめるようになりました。そこで改革に立ち上がったのがドイツのルターでした。ルターの教えは教会により抑えられていた精神の自由を求めるものでした。ルターの教えはプロテスタントと呼ばれ、また、カトリックの旧教に対し新教とも呼ばれます。ローマ教会にも反省の動きが起きます。最も有名なのはイエスズ会でした。イエスズ会は新天地でカトリックを広めようとしました。ザビエルが日本にやってきたのもその現れです。宗教が平和と争いに大きく関わることを今回もかみ締めましょう。

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第68回 へいわ845 平成30年11月14日(水) 宗教とへいわ その2

十戒イメージ
十戒、イメージ

平和の根底には宗教があり、戦争の根底にも宗教があります。イエスはユダヤ人ですが、ユダヤ教を批判しました。ユダヤはイエスを密告し十字架にかけた民族として長い間差別されました。ユダヤ人はその祖先が神に約束された地に国を建て、そのために争いが続いています。ユダヤ人は不思議な民族です。イエスは隣人愛(平和)を説き差別された人に救いの手をさしのべました。キリスト教はローマ帝国に広がり、やがてその国教となりました。キリスト教の歩みも時に誤りを犯しながら今日に至っています。今回は古代のユダヤ教とキリスト教の一端を切り取って平和を考えます。

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第67回 へいわ845 平成30年11月7日(水) 宗教とへいわ その1

イエス・キリスト
イエス・キリスト像

宗教は人間の本質に結び付いた極めて重要な課題です。宗教は人類の歴史と共にあって、古くて新しい問題です。宗教をめぐる争いは古代から現代に至るまで絶えません。宗教は平和と密接不可分の問題でもあります。世界の三大宗教は、キリスト教、仏教、イスラム教のことです。日本人は宗教に関心が薄いともいわれますが、そのようなことは許されないことを自覚しなければなりません。多くの国から多くの留学生を迎えていますが、彼らを理解する上でも、私たちは宗教への理解を深めねばなりません。

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第66回 へいわ845 平成30年10月31日(水) 公害の原点と田中正造 その3

渡良瀬川
渡良瀬川

田中正造は渡良瀬川鉱毒問題と闘う中で、「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし。文明は、今、露骨な強盗なり」と訴えました。この言葉は今も生きています。水俣病、イタイイタイ病、福島第一原発事故等の惨状を直視すればそれは明らかです。田中のこの訴えは強烈です。そもそも文明とは何かを今、私たちは真剣に考えるべきです。田中がこの言葉を日記に書いたのは1912年のことで、その直後に明治天皇は亡くなり時代の呼び名(元号)も大正となりました。今回は「文明とは何か」という文明の原点に立って、田中正造と公害を考えてみましょう。

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第65回 へいわ845 平成30年10月24日(水) 公害の原点と田中正造 その2

公害イメージ
公害、イメージ

田中正造が天皇に直訴したことは社会に大きな衝撃を与えました。特に若者の正義感に火をつけたのです。その若者たちの中には、内村鑑三、志賀直哉、石川啄木等がいました。内村鑑三たちは大挙して列車で上野駅を出発して鉱毒被災地を視察しました。被災地には鉱毒で汚染された土の山がいたる所にありました。人々は毒塚と呼びました。田中正造は鉱山の操業停止を強く訴えました。鉱毒は水源地の樹木を枯らし、その結果山は保水力を失い洪水がしきりに起こるようになりました。大洪水は栃木、群馬、埼玉、茨城から東京にも及びました。

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第64回 へいわ845 平成30年10月17日(水) 公害の原点と田中正造

足尾銅山の廃工場
足尾銅山の廃工場

現代の平和を妨げるものとして公害の重大さを改めてかみ締めます。「神の通る川」と言われる程きれいな「神通川」が魔の川に変化し、命あふれる恵みの川、渡良瀬川が「死の川」と化しました。福島第一原発のことを「核の公害」と呼ぶ人がいます。戦後の公害の原点は「イタイイタイ病」ですが、戦前まで振り返った原点は「足尾鉱毒事件」です。今回は、「公害の原点と田中正造」の第一回です。舞台の渡良瀬川には群馬県も直接関わっています。川底に堆積した汚染土は今も生活を脅かす存在です。

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第63回 へいわ845 平成30年10月9日(火) 平和と公害

公害病のイメージ
公害病、イメージ

前回、災害と平和の関係に質問がありました。平穏な暮しは平和の目的であり平和そのもの。その意味で公害の歴史を理解することは重要です。水俣病に次いで今回は「神通川」のイタイイタイ病を取り上げます。「神の通る川」と言われた川は、企業のカドミウムが流れ込む悪魔の川、死の川となりました。それは命の川であった渡良瀬川が鉱毒のために死の川に変じたのと同様です。渡良瀬川に取り組んだ田中正造が今求められています。文明の発展と共に公害は絶えず生まれるからです。社会の平和を守るために公害の歴史を知ることは非常に重要なのです。

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第62回 へいわ845 平成30年10月3日(水) 巨大災害と平和

公害のイメージ
公害、イメージ

大災害の時代に入り、平和を脅かすものは今や戦争だけでなく大災害です。大災害とは巨大地震・巨大津波・巨大台風・原発事故などですが、「公害」も加えたいと思います。「公害」とは人の責任で生ずる、公共に対する害のことです。巨大台風の例として、キャサリン台風、伊勢湾台風を取り上げます。この位の台風が今後頻繁に起こる可能性があるからです。「公害」には福島第一原発事故が最近のものですが、今回、チッソによる水俣病の実態を取り上げます。営利を追求する企業とそれを支援する国という構図は不変のものだからです。

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第61回 へいわ845 平成30年9月26日(水) 無視された警告と貞観大津波

大津波のイメージ
大津波、イメージ

貞観の大津波は869年東北の海岸で起きました。東北大の箕浦教授は地質学の方法でこの津波の痕跡を研究し、東日本大震災を予測し警告しました。予測通り巨大津波は押し寄せました。地質学の方法とは、津波が運んで堆積した地層を分析して津波の年代や大きさを調べる方法です。これによって、過去に巨大津波が周期的に繰り返されたことが分かりました。しかし、当時の学会も東電もこれに耳を傾けませんでした。「安全神話」にあぐらをかいていたのです。これを受けいれて対策を立てていれば原発事故は避けられたと言われます。

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第60回 へいわ845 平成30年9月18日(火) 大震災と平和 その2

地震イメージ2
地震、イメージ

北海道大地震は「想定外」でした。災害に関しては想定外ということは言えない時代に入りました。次はどこか。群馬は大丈夫か。関東は大丈夫か。ジワジワと足音が迫っています。90年前の関東大震災は前橋でも立っていられない程揺れました。東日本大地震はまだ終わっていません。関東に震度7クラスが来る可能性が十分あると専門家は指摘します。首都東京を震度7と観測史上にない巨大台風が同じに襲う「複合災害」を想定すべきです。内陸型が各地で起きているのは前兆であり 天の警告です。東海・東南海・南海が確実に近づいています。そこには2つの原発があります。

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第59回 へいわ845 平成30年9月12日(水) 大震災と平和 その1

地震イメージ
地震が起きたら・・・(イメージ)

北海道で大地震がありました。震度7は東日本大震災と同じ強さです。もし、海中で起きて原発があったなら、津波が発生し福島第一原発と同様なことが起きたかもしれません。今回の特徴の一つは市民の生活がいかに電力に依存しているかを突き付けたことです。多くの医療機関が停電により機能しなくなりました。診療所などの小さな医療機関でも非常用発電装置を備えないと人の命を救えないことがわかりました。災害に十分な備えをし、市民生活を守ることが社会の平和の基礎であることを示しました。

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第58回 へいわ845 平成30年9月5日(水) 核と原発 その2

事故イメージ2
爆発(イメージ)

過去の原発大事故といえば、ソ連のチェルノブイリとアメリカのスリーマイル島の事故です。重大さを示すレベルで最悪は「7」ですが、チェルノブイリが7で、福島第一原発も7でした。事故調査委の結果驚愕の事実が次々に明らかになりました。第一の例として事故時東電の会長と社長が不在だったことが挙げられました。事故前の対策の誤りと事故後の対策の失敗、この両面から迫る必要があります。同時に原発の仕組みと放射能の知識をもたねばなりません。原発事故は再び起きる可能性があります。事故を学ぶことは身を守るために絶対に必要なのです。

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第57回 へいわ845 平成30年8月29日(水) 核と原発 その1

事故イメージ
原発事故(イメージ)

8月が終わります。73年前の8月の「核」は、核の平和利用という表現で「原発」につながっています。「あのものすごい熱で蒸気をつくり、発電機を回し電気をつくる」、これが原発の原理です。だから一たび誤れば恐ろしい放射能が発生します。事故から7年経って未だ終息しません。「国会事故調査委員会」と「民間事故調査委員会」は、事故は人間のミスが招いたもの、「人災」だと結論づけました。原発をこのまま続けるのか。これは私たちに突きつけられた極めて重大な問題です。

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第56回 へいわ845 平成30年8月22日(水) 核を考える その四

日の丸
戦争から73年

昭和天皇の終戦の言葉。あれから73年を経た今回の平成天皇のお言葉、これらを合わせて読むと一つの時代が幕を閉じつつあることを感じます。「たえ難きをたえ」て歩んだ歴史を振り返って、平成天皇は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」、「戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べました。戦争の惨禍の言葉には広島・長崎の核の地獄への思いが込められていたことでしょう。たえ難い重みの松明(たいまつ)を受け継いだ天皇の胸中が偲ばれました。

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第55回 へいわ845 平成30年8月15日(水) 核を考える その三

平和祈念像
長崎の平和祈念像

広島、次いで長崎の平和式典が行われました。いずれでも市長は核のない世界の実現を訴えました。長崎の原爆投下は9日午前11時2分。その惨状は広島同様想像を絶し言葉で語り尽くすことは不可能です。長崎には国連事務総長のグテレスが参列。爆心の碑を囲む高校生たちの「人間の鎖」に注目しました。グテレス氏は「長崎を核で苦しんだ最後の場所にしよう」と訴え、高校生たちは核廃絶の決意を示しました。政治や社会問題に無関心と言われる若者は長崎の若者に学ぶべきです。

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第54回 へいわ845 平成30年8月8日(水) 核を考える その二

原爆ドーム
原爆ドーム

今年の暑さは異常ですが、73年前の8月はもっと酷い灼熱地獄の状態でした。前橋大空襲と原爆投下がありました。核はあっという間に世界に広がりました。戦争は何でもありですから核を手にすれば使われる危機は常にあります。私たちは累卵の危機にあります。人類で唯一の被爆国日本の役割は重大です。核拡散の現状と恐怖の実態を確認することが重要です。核拡散の最先端に北朝鮮問題があります。間もなく、今年も広島と長崎から世界に向けてメッセージが発信されます。私は、特別の思いで注目するつもりです。

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第53回 へいわ845 平成30年8月1日(水) 核を考える その一

アインシュタイン
アルベルト・アインシュタイン

現在、日本の平和、世界の平和を考える上で最大の問題の一つは「核」です。 北朝鮮をめぐって非核化が叫ばれ、日本の核武装を論ずる声も聞こえます。従って平和を求める私たちは核問題につき知識を持つことが不可欠です。 核は第二次世界大戦の中で生まれました。物理学者・アインシュタインも登場します。原爆の実験成功は昭和20年7月16日でした。この月の26日には早くも太平洋のテニアンに運ばれ、翌月8月6日及び7日には、それぞれ広島、長崎に落とされたのです。今年も8月が近づきました。真剣に考える時です。

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第52回 へいわ845 平成30年7月25日(水) 松井かずと中国、最終回

昭和の黒電話
昭和の黒電話

松井かずは吾妻郡原町に着いた。駅前の山田洋品店が姉の家。朝まで語った。朝まちの人々が集まった。同級生、幼な友達。「かずちゃん、ずい分若いね、苦労してないみたい」と。5人の子どもたちの姿が目に。一人の同級生が「日本は戦争に負けてよかったのよ」と。娘たちは中国で結婚。全て落ち着いてから家族と共に日本へ。昭和64年大変なことが。昭和天皇の死。国民は大変だった。皇居前で石のように土下座する人々。「お供する」と自殺した人も。公営ギャンブルは中止。ポルノ映画館には黒い幕が。パチンコ店は音楽とネオンが。
時代は平成に。

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第51回 へいわ845 平成30年7月18日(水) 松井かず、日本へ

浦島太郎のイメージ
浦島太郎、イメージ

昭和47年田中首相(当時)が北京を訪ね、日中国交樹立が実現しました。「手のひらを返すようにまわりの態度が変わり嬉しかった」とかずさんは振り返りました。30年ぶりに日本を見た驚きと喜びは大変でした。空港には多くの人が出迎えました。夜の東京はこれが日本かと疑うほどでした。翌朝、朝日に照らされる吾妻の古里を見たときの感激。同級生は「浦島太郎ね」と言いました。かずさんは中国にいる家族を日本に呼ぶ決意を固めます。今年は日中国交正常化46年。平和の尊さをかみ締めましょう。

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第50回 へいわ845 平成30年7月11日(水) 満州移民の悲劇 その3

天安門広場
毛沢東が掲げてある天安門広場

平和と戦争は不可分です。その事実は歴史が示しています。
松井かずは、満州の地獄から抜け出て中国人男性と結婚し5人の子供を設けます。かずはやがて思いもよらない政治の嵐・文化大革命に遭遇します。日本人はいじめられました。かずの故郷への想いはつのります。やがて日中国交回復が成り、かずは日本へ手紙が出せるようになります。待ちに待った父の手紙が届きました。夢にまで見た日本、父や母や兄、妹たちに会える日は来るのでしょうか。

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第49回 へいわ845 平成30年7月4日(水) 満州移民の悲劇 その2

満州の位置
満州の位置

日本国政は平和と復興を目指して立ち上がりましたが、大陸に残された人々は新たな戦に巻き込まれていました。この人たちに平和が訪れなければ日本国民の平和は実現しません。 松井かずを通して地獄の満州を知るのが目的です。かずは生死の境を脱するために炭坑で働く中国人男性と結婚し家族をつくります。 やがて、日中の国交正常化が実現します。かずが一時帰国して目にした日本は正に驚くべき光景でした。

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第48回 へいわ845 平成30年6月27日(水) 満州移民の悲劇 その1

移民
移民、イメージ

敗戦の日本国にとって最も難しい問題は海外の居留民の引き揚げでした。とりわけ悲惨だったのは旧満州にいた人々で開拓民の人々は地獄の苦しみを味わい、多くの残留孤児ができ、女性たちの苦しみは言語に絶するものがありました。
また、シベリアに強制抑留された人々はおよそ60万人おり、寒さと飢えと強制労働で6万人の人々が命を落としました。戦争は事後が大変なのです。平和の実現は容易ではありません。失われるのは一瞬です。このことをしっかり噛み締めましょう。

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第47回 へいわ845 平成30年6月20日(水) 平和を目指して その2

へいわ
へいわイメージ

敗戦による廃墟から立ち上がる国民にとっての最大の励ましは日本国憲法でした。国民は主権者となりました。それにふさわしい大きな自由と力が与えられました。基本的人権の保障です。言論の自由、思想・信条の自由、学問の自由、宗教の自由、そして両性の平等が実現されることになったのです。昭和22年5月3日、新憲法が施行されました。この年、私は小学校に入学しましたが、教科書もこの年、民主主義にふさわしいものに変わりました。 その初めの一頁を飾る詩は「おはなをかざるみんないい子」で、私は今でも覚えています。平和とは血と汗によって勝ちとるものです。

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第46回 へいわ845 平成30年6月13日(水) 平和を目指して その1

国会議事堂
国会議事堂

昭和20年という年は日本にとって正に有史以来の転換点でした。新しい価値観に立って平和を築く原点の年でした。翌21年1月1日、天皇は「人間宣言」をしました。その意味をかみ締めます。又、平和の動きとして最も重要なのは日本国憲法の制定です。難しいかも知れませんが挑戦しましょう。そして、教訓として学ばねばならぬことは、廃墟の中から復興に向けて立ち上がった国民の逞しい姿です。物は極端に不足していましたが、心には希望がありました。全国どこでも、人々を励ますように「リンゴの唄」が流れました。

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第45回 へいわ845 平成30年6月6日(水) 鈴木貫太郎、その4 「ポツダム宣言4」及び「終戦の証書」

イメージ画像、敗戦
ロンドンにあるウィンストン・チャーチル像

①日本国民の間に於ける民主主義の復活強化の障害を除去すべし。 言論、宗教、思想の自由並に基本人権の尊重は確立せらるべし。全日本国軍隊無条件降伏を宣言す。それ以外の選択は迅速かつ完全なる壊滅あるのみ。ポツダム宣言の要点です。

②「耐へ難きを耐へ、忍び難きを忍んで万世のために太平を開かんと欲す」、これが天皇の真意であった。これを決めた時、天皇は涙を流したと鈴木は伝えています。

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第44回 へいわ845 平成30年5月30日(水) 鈴木貫太郎、その3

イメージ画像、敗戦
イメージ画像、敗戦

昭和20年の8月は日本の運命がかかった月でした。客観的には日本の敗戦は決定的でしたが、まだ何百万という兵士は健在で、本土決戦を覚悟する人々は少なくなかったのです。

本土決戦となれば、戦国時代のような混乱は必至です。御前会議が重ねて開かれました。議論は尽きません。ここで鈴木貫太郎は秘かに決意していたことを実行に移しました。

今日の平和は、大変な犠牲を払って、その一歩が作られたのです。平和が「たなボタ」で実現したものではないことを、今回、かみ締めたいと思います。この会議の時も、飛行機で飛び立った若者がいたのです。

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第43回 へいわ845 平成30年5月23日(水) 鈴木貫太郎、その2

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御前会議の様子(wikipediaより)

鈴木貫太郎は78歳で総理大臣となりました。鈴木は死を覚悟して引き受けたと言われます。その時、鈴木の胸にあったものは何か、鈴木の戦争観とは何か、死を覚悟して何をしようとしたのか。これらを語ります。鈴木は真の軍人であるだけに、平和の尊さを知っていたのです。そして平和を勝ち取る戦略を深く考えたのです。 鈴木の最大の戦いの場は御前会議でした。天皇との人間関係、帝国憲法のこと、ポツダム宣言への対応などに話は向かいます。真の軍人の使命は国民の命を守ること、それは平和を守ることであることを鈴木の歩みから学びたいと思います。

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第42回 へいわ845 平成30年5月16日(水) 鈴木貫太郎、その1

イメージ画像
鈴木貫太郎(wikipediaより)

鈴木貫太郎は、日本を救った総理大臣と言われます。その生涯の軌跡を辿ります。前橋の桃井小学校、群馬中学(現前橋高校)を経て海軍兵学校に進みました。二・二六事件の時、暴徒に撃たれました。日本を救ったのは太平洋戦争終結時の鈴木の行動でした。鈴木は軍人でしたが平和を求める人でした。78歳で首相に就任。この首相の時、広島・長崎の原爆投下、ポツダム宣言受諾、天皇の終戦放送がありました。楫取素彦との関係も重要です。

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第41回 へいわ845 平成30年5月9日(水) サイパンの戦い、その1

サイパンに残された戦車
現地にそのまま残されている戦車

サイパンは東京まで2250キロ、ここを失えば日本は負けると信じられていました。サイパンは正に日米決戦の死命を制する島でした。アメリカは空の要塞・B-29を完成させていました。その航続距離は5600キロ。4トンの爆弾を積み、1万メートルの上空を時速600キロで飛ぶことができました。アメリカは、サイパンを取れば、B-29による攻撃が可能になります。硫黄島はB-29の日本攻撃を補強するために重要でした。日本はサイパンを絶対国防圏の中心と位置付けていました。サイパン、テニアン、グアムと米軍はじわじわと迫ります。サイパンには多くの島民がいました。今回も平和の尊さをかみ締めたいと思います。

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第40回 へいわ845 平成30年5月2日(水) 硫黄島の戦い、その2

American flag

栗林中将は、地下に陣地を作り、全将兵を地下に潜って戦わせました。すべての陣地を地下に作り、それを通路で結んで行き来できるようにしたのです。敵の不意をついて奇襲攻撃する戦術は効果的であり、圧倒的に優位な相手に対する戦術として考え出されたゲリラ戦の手法でした。地下に穴を掘る作業はとても大変で、60℃にもなる地熱と、ところどころで吹き出す硫黄ガスとの戦いでした。地質の固い所は、ツルハシで1日かけて掘ってもやっと1m進む程でした。着衣はふんどし1本で、5~10分で交代するという正に地獄の中での作業でした。時々降るスコールは天の助けでした。ある将軍は次のように詠みました。
「スコールは命の水ぞ 雲を待つ 島の心を余人は知らじ」と。
このようにして命懸けで日本を守ろうとした人々の姿を、私たちは今、平和のためにしっかりと受け止めねばなりません。

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第39回 へいわ845 平成30年4月25日(水) 硫黄島の戦い、その1

硫黄島の位置

米軍がいよいよ迫ります。東京まで1,500キロ。山手線内ほどの島。アメリカは一週間で占領できると考えました。それを阻止する栗林中将の作戦は成功したのです。地下のゲリラ作戦です。ゲリラ戦とはどんな戦いだったのでしょうか。栗林中将の人間像はどんなものだったのでしょうか。この島が占領されればアメリカは日本のどこの大都市も攻撃できるのです。栗林はアメリカを最も苦しめた名将だったのです。この島には一本の川もない。湧き水も一切ない。水の一滴は血の一滴でした。「アメリカの若者をこれ以上死なせるな」の世論が沸騰しました。そこでアメリカが選んだ手段とはなんだったのでしょう。

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第38回 へいわ845 平成30年4月18日(水) パプアニューギニア地獄の戦場、その3

beautiful ocean after the war
パプアニューギニアの海

今回はニューギニアの最終回として、平成13年に私が訪問した時の写真を使って南海の果てに散った日本人の犠牲と平和の意味を探ります。歴史は繰り返されます。多くの犠牲を平和のために生かす時なのです。石器時代に近い状態の社会と差別なしに付き合うことが平和の基礎になるべきです。何千人の死者を出した「サラワケット越え」と文房具を届けた小学校にも触れます。南の島々が温暖化の危機に晒されています。日本の力を役立てる時でもあります。

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第37回 へいわ845 平成30年4月4日(水) パプアニューギニア地獄の戦場、その2

山本バンカー
山本バンカー

ラバウルは日本にとってもアメリカにとっても非常に重要でした。だから日本はここを守るために死力を尽くしました。戦線を視察するためここを飛び立った山本五十六長官は待ち構えた米軍機によって撃ち落されました。暗号が全て読まれていたのです。アメリカは大戦中の最大の戦果の一つと喜びました。山本五十六、井上成美、米内光政の海軍トリオは開戦に反対し、三国同盟に強く反対したことにも触れます。 なぜ戦争を回避できなかったかを地獄の戦場を踏まえて振り返ります。

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第36回 へいわ845 平成30年3月28日(水) パプアニューギニア地獄の戦場、その1

戦車
日本軍が使用した戦車

平成13年(2001年)に、私はパプアニューギニアを慰霊巡礼で訪ねました。地の果ての美しい海とジャングルはかつての地獄の戦場でした。ニューギニアは、アメリカとオーストラリアの連携を断って日本を守る砦でした。ラバウルにはゼロ戦の残骸が横たわり、無数の日本人を飲みこんだダンピール海峡は青く黒くうねっていました。出発は10月21日。その直前9月11日にはニューヨークであの同時多発テロが起きていました。戦争の歴史は繰り返されるのです。その意味で、今、「地獄の戦場」をふり返る意義は大きいと思います。

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第35回 へいわ845 平成30年3月21日(水・祝) 沖縄戦 その3

a girl with a white flag
白旗の少女

今回は、白旗の少女のその後、対島丸の悲劇、戦艦大和、カミカゼ特攻隊などを取り上げます。これらは沖縄戦の断片ですが、現代の私たちに何を語りかけているかを問うことは極めて重要です。悲劇の断片は一つ一つが平和の礎なのです。これらが今、忘却の彼方に去ろうとしています。歴史は繰り返されます。沖縄の人々の死を無駄にしないためには、その忘却を食い止めねばなりません。戦争の足音が近づく今こそ、その時なのです。私たちの心に不毛の砂漠が広がりつつある危機を感じます。今回は、当時の世界の状況を示す一コマも取り上げます。

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第34回 へいわ845 平成30年3月14日(水) 沖縄戦 その2

平和祈念公園
沖縄の平和祈念公園

一般住民を巻き込んだ戦争がいかに過酷で悲惨であるかを如実に示すのが沖縄戦でした。それは、もし本土決戦になったらこうなるだろうということを語っていました。「生きて虜囚(りょしゅう)となるのは恥」、「米兵は鬼畜」と教え込まれた多くの人々は自決の道を選びました。昭和20年4月1日、米軍は沖縄本島に上陸、6月18日ひめゆり部隊集団戦死、6月23日、日本兵全滅と進みました。今回は沖縄住民の実態に焦点をあてます。

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第33回 へいわ845 平成30年3月7日(水) 沖縄戦 その1、ひめゆり部隊

ひめゆり
沖縄県糸満市にあるひめゆりの塔

看護要員として動員され戦死した少女たち。記念館を訪れる現代の高校生たちが泣く姿を見て私も泣きました。唯一つ、住民を巻き込んだ戦争の悲惨さを象徴的に現わすのがひめゆり部隊です。ひめゆりのような純真な少女たちは「生きたい、生きたい」と心に叫びつつ死にました。「それが戦争というものだ」では片づけられないものがあります。ひめゆり部隊の最期を通じて、沖縄戦の理解に近づこうと思います。沖縄戦を何回か取り上げます。本土防衛の砦であり、そのための捨て石とされた沖縄。沖縄戦を知らずして太平洋戦争の実態を知ることはできません。

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第32回 へいわ845 平成30年2月28日(水) 近代オリンピック その6、パラリンピック

レーサー
車椅子による陸上競技

パラリンピックは、パラレル(もう一つ)のパラとオリンピックの合成語。もうひとつのオリンピックの意で、障害者のオリンピックである。腕や足を失った人、視力を失った人などが胸を張って生き生きと躍動する姿は胸を打つ。この姿によって勇気づけられる人々は多く、障害者たちだけではない。そしてわたしたちは、障害者に対して抱く差別と偏見がいかに誤りであるかに気づかされる。彼らが限界に挑戦する素晴らしい姿を謙虚な気持ちで紹介いたします。

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第31回 へいわ845 平成30年2月21日(水) 近代オリンピック その5、北京五輪(平成20年)

中国の天安門広場
毛沢東を揚げる天安門

2008年8月8日午後8時。史上最多・204の国と地域。日本の旗手は福原愛。会場は10万人を収容する「鳥の巣」。スローガンは「ひとつの世界、ひとつの夢」。近代的世界都市建設、世界へ中国の威信を示す。そのために中国社会の団結と安定を実現する。築かれるものと失われるものは何か。少数民族の問題、発展と格差、共産党の一党独裁、これらを乗り越えて中国は一つだ。そのためには団結と安定が第一で、それを実現し世界に示すことが北京五輪の目的。

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第30回 へいわ845 平成30年2月14日(水) 近代オリンピック その4、東京五輪(昭和39年)

近代オリンピック4
五輪、陸上競技イメージ

東京五輪は昭和39年(1964)で、敗戦から立ち上がった日本が、目ざましい躍進の姿を世界に示す結果になった。新幹線、カラーテレビも登場。日本中が火の玉のようになった。しかし、「より大切なのは、真の感動・人間的感動だ」という声があった。マラソンの円谷幸吉、東洋の魔女の女子バレー、柔道はヘーシンクに敗北したことなどが衝撃だった。 オリンピックは今、曲がり角に。次の東京五輪が近づいた。前回の東京五輪から学ぶものは何か。三波春夫の五輪音頭が甦る。

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第29回 へいわ845 平成30年2月7日(水) 近代オリンピック その3

近代オリンピック3
モハメド・アリ(1960年オリンピック・ローマ大会、ライトヘビー級にて金メダル)

へいわの祭典オリンピックで心を打つのは一人一人の選手の限界に挑戦する姿です。しかしその背景には人種・肌の色・宗教・文化の違いがあり、それらを乗り越えて一つになることに平和を支える意味があります。そういう視点から今回はモハメド・アリ、アベベ、ベン・ジョンソン、ジェシー・オーエンス、キャシー・フリーマンなどを取り上げます。短い時間ですが人種差別の現実と歴史についても語ります。私たちの心に平和の砦を築こうと思います。

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第28回 へいわ845 平成30年1月31日(水) 近代オリンピック その2

バルセロナオリンピック
デラルツ・ツル(左)と、エレナ・マイヤー(右)
スペイン、バルセロナ大会(1992年)

オリンピックは平和の祭です。それを支えるのは友情、連帯、フェアプレーの精神です。今回は2つの例を紹介します。一つはバルセロナ大会。女子1000mで優勝したエチオピアのデラルツ・ツルは2位のエレナ・マイヤーを待ち、手を取り合ってウィニングランをしました。マイヤーは南アフリカ共和国です。 二つ目はアテネ大会のバンデルレイ・デ・リマです。男子マラソンでトップだった彼は36キロ付近で暴漢におそわれましたが完走し、銅を得ました。

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第27回 へいわ845 平成30年1月24日(水) 近代オリンピック その1

近代オリンピックイメージ

近代オリンピックはクーベルタンの提唱によりアテネでスタートしました。スポーツを通して友情をつちかい世界平和を目指すことがオリンピックの目的ですが、政治への利用、勝つことに重点を置き過ぎた弊害など、いろいろな問題点を抱えています。 オリンピックをふり返ることにより、人類が直面する様々な問題が浮き上がります。 黒い稲妻のように走る黒人選手の躍と、それに全世界が拍手喝采する姿は、オリンピックとは何かを雄弁に物語っています。世界が大きく混乱し人類の危機も叫ばれる今こそ、オリンピックの歴史を見つめる時です。

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第26回 へいわ845 平成30年1月17日(水) 日本人政治家として初めて強制収容所を訪ねた高良とみ

へいわ845第25回
高良とみ(1896年―1993年)

高良とみは戦後初の参議院議員。そして国法を犯してシベリアに渡り、強制収容所を視察した。しかし、そこで見たものは「つくられた」状況だった。日本人は彼女のバッグに貼られた日の丸を見て涙した。祖父は群馬の蚕聖と言われた田島弥平。母は前橋女子高の卒業生である。とみが会った人々は長期の戦犯で、日本との文通は禁止されていたが、とみの尽力により家族との葉書の交信や雑誌の送付が可能となった。人々は雑誌を通して知る祖国の変化に驚いた。これらの人々の帰国は昭和31年の国交回復の時。とみの訪問は昭和27年であった。

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第25回 へいわ845 平成30年1月10日(水) シベリア強制抑留 その3、スターリン大元帥への感謝状

へいわ845第25回
スターリン(1878年―1953年)

私は「スターリン大元帥への感謝状」のコピーをハバロフスクの国立古文書館で入手した。許可されるのに面倒な手続きがあった。よくもここまでゴマをすったと唖然とする。スターリンを「人類最大の天才、全世界勤労者の導きの星」と誉め上げ、自分たち日本国民のことを「日本の勤労者はあまりにも長い間資本家どもの盲目の奴隷となってきました」と表現し、日本の資本家階級を「強盗的帝国主義者、極悪非道の極東の憲兵」と非難する。正に自虐的文章の典型というべきもの。この長文の文章に日本人は長い列を作って争って署名した。これは何を意味するのか考えたい。

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第24回 へいわ845 平成29年12月20日(水) シベリア強制抑留 その2

へいわ845第24回シベリア強制抑留
引揚船をむかえる舞鶴の女性たち

故郷を思う心は狂おしい程だった。耐えられない人々は歌をうたった。「異国の丘」はシベリア中に響いた。共産主義教育の効果が上がった者が帰国できると信じられた。その中で仲間をつるし上げる運動が「民主運動」の名で進められた。やがて帰れる日が近づく。人々はソ連が見えなくなる迄不安だった。日本の島々が見えた時の喜びは筆舌に尽くし難いものだった。我が子を待つ老母、夫を待つ妻。舞鶴の岸壁は涙にむせび抱き合う人々であふれた。幸いにして帰国出来た人々の胸には黒パンを分け合った姿、凍死して埋められた仲間たちのことが深く突き刺さっていた。

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第23回 へいわ845 平成29年12月13日(水) シベリア強制抑留 その1

へいわ845第23回シベリア強制抑留
強制収容所の室内を再現したジオラマ
(平和祈念展示資料館)

終戦の年に約60万人の日本人がシベリアに抑留され、そのうち約6万人が飢えと寒さと過酷な労働で死んだ。生還できた人もみなこの世を去りつつある。狂おしい程の望郷の思いを知らねば平和の尊さは分からない。戦争の過酷さも分からない。抑留の開始は昭和20年の秋。最後の帰国者は昭和31年の年末だった。

私が日本人として初めて入手した「スターリン大元師への感謝状」は日本人の悲しい心を雄弁に語る。

初めて強制収容所を訪ねた女性国会議員である高良(こうら)とみとは? 続く

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第22回 へいわ845 平成29年12月6日(水) ヒロシマ ― その2

へいわ845第22回ヒロシマ
トルーマン大統領
任期:1945年4月12日―1953年1月20日

広島はリトルボーイ、長崎はファットマン。投下目標は最後まで京都にこだわったが、7月末、広島、小倉、長崎、新潟に。ソ連の参戦前に投下したかった。ルーズベルトは4月に死ぬ。

  • 非核3原則とは。
  • 非核自治体宣言。
  • 日本は全自治体の4分の3。世界的にはマンチェスターが最初。

世界の核保有国は、①アメリカ②ロシア③中国④フランス⑤イギリス ⑥イスラエル⑦インド⑧パキスタン。  (北朝鮮)。

  • ラッセル・アインシュタイン宣言。

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第21回 へいわ845 平成29年11月29日(水) ヒロシマ ― その1

へいわ845第21回ヒロシマ
ヒロシマ(1945年)

現在、人類の平和を脅かす最大の脅威は「核」である。日本は人類初の核被爆国。日本国民として、また人類の一員として「核」の知識を持つ必要がある。

原爆はなぜ誕生したか。

原爆の原理は何か。

なぜ日本に落とされたのか。

核が世界に広がりつつある。知識がなければ反対することも賛成することもできない。核は私たち一人一人の問題である。先ず1945年8月6日に広島市に落とされた事実から始めよう。今、「核」は新たなる問題となっている。

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第20回 へいわ845 平成29年11月22日(水) 杉原千畝 ( すぎはらちうね ) その2

へいわ845第20回千畝の切手
リトアニアの切手(2004年発行)

杉原千畝は終戦を迎えソ連の捕虜となりシベリア鉄道で日本に帰り、外務省をやめる。長い年月が経ち、ある日、イスラエル大使館から連絡がある。待っていた人はニシュリ。千畝のビザで助かった人だった。あの時のユダヤ人は千畝を探していた。ニシュリの手にはあの時のビザが。千畝はイスラエルから「諸国民の正義の人賞」を贈られる。

その翌年、杉原千畝は86歳でこの世を去る。人権尊重を貫き人類の平和に貢献した偉大な人生であった。

リトアニア
リトアニアの位置

第19回 へいわ845 平成29年11月15日(水) 杉原千畝 ( すぎはらちうね ) その1

へいわ845第19回
杉原千畝(1900年1月1日―1986年7月31日)
日本の外交官

杉原千畝は6,000人のユダヤ人にビザを発給した人物。時は第二次世界大戦中で、ヒトラーはユダヤ人絶滅政策を進めていた。この政策から逃げようとするユダヤ人は必死でビザを求めた。日本はヒトラーのドイツと三国同盟を結んでいたため、ドイツのユダヤ人政策に反対できない。

杉原は本省の許可がないまま独断でビザを書いた。

彼を衝き動かしたものは人道主義、そして武士道の精神であった。今日本人に求められるものは、これである。

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第16回 へいわ845 平成29年10月25日(水) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア その2

へいわ845第16回
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1963年撮影)

講義の目次

  1. アトランタは「風と共に去りぬ」の町と呼ばれたが、今では「非暴力の町」、「キング牧師の町」と呼ばれている
  2. ケネディの救いの手、KKK(クー・クラックス・クラン)、パークス婦人の逮捕について
  3. 最高裁判決、非暴力の勝利、非暴力の考え方、について
  4. 「私には夢がある」、キング牧師の演説、ケネディ大統領暗殺について
  5. ノーベル平和賞受賞について
  6. キング牧師の暗殺について

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第15回 へいわ845 平成29年10月18日(水) マーティン・ルーサー・キング・ジュニア その1

へいわ845第15回
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
(1929年1月15日 - 1968年4月4日)
アメリカ合衆国のプロテスタントバプテスト派の牧師

黒人を動物のように扱う奴隷制度が廃止された後も、黒人への差別は続きました。黒人も人間である以上、白人と平等でなくてはならない筈です。理屈はそうであっても、理想は待っているだけでは実現しません。その黒人の平等を求めて闘ったのが、マーティン・ルーサー・キング Jr.でした。彼が読んだ本の中で一番心を揺り動かされたのはマハトマ・ガンディーの非暴力の教えでした。キングはインドで成功したことは、アメリカでも成功すると信じました。やがて、彼は黒人の正義を求める運動の指導者になります。

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第14回 へいわ845 平成29年10月11日(水) マハトマ・ガンディー その2

へいわ845第14回
インドの紙幣にはすべてガンディーの肖像が印刷されている

マハトマとは「偉大なるたましい」という意味。非暴力・不服従でインドを独立させた。ガンジーにならった政治の指導者には、キング牧師、ダライ・ラマなどが居る。アインシュタインも大きな影響を受け、また手塚治虫はイギリスに立ち向かうインドとガンジーにヒントを得て「鉄腕アトム」を書いた。ガンジーは「すべての日本人へ」という手紙を書き、日本の軍事主義を批判した。78歳の時に暗殺された。

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第13回 へいわ845 平成29年10月4日(水) マハトマ・ガンディー その1

へいわ845第13回
糸車を廻すマハトマ・ガンディー
(1869年10月2日―1948年1月30日)

インド独立の父。1869年10月2日生まれ。毎年10月2日は「ガンディー記念日」、また国連はこの日を「国際非暴力デー」とした。インドはイギリスの植民地だった。ガンディーは独立運動の指導者。民衆暴動でなく「非暴力不服従」を提唱。イギリス製の綿製品を使わず、インドの伝統的手法による綿製品を積極的に使用した。彼の不服従運動は、世界中から注目された。イギリスの塩税に抗議して行った「塩の行進」は、その不服従運動の一つである。最後にガンディーが残した個人資産は竹の杖、糸車、携帯用便器、一匹のヤギ。

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第12回 へいわ845 平成29年9月27日(水) アンリ・デュナン その2

へいわ845第12回
トマ・ジュアネ演じるジャン・アンリ・デュナン
(映画、「アンリ・デュナン物語 国際赤十字誕生」(2006)より)

デュナンが創立した赤十字についてのサマリー

  • 世界赤十字デーは、デュナンの誕生日である5月8日
  • 日本赤十字社の前身は西南戦争の1877年に設立された博愛社
  • 1886年、日本がジュネーブ条約調印。その翌年、博愛社は日本赤十字社となる
  • 1888年磐梯山大爆発に際し、戦争だけでなく、初めて自然災害で赤十字社が活躍
  • 日清戦争時、日本赤十字社は初めて国際紛争の医療救護班を戦地に送り出した

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第11回 へいわ845 平成29年9月20日(水) アンリ・デュナン その1

へいわ845第11回
ジャン・アンリ・デュナン
(Jean Henri Dunant, 1828年5月8日 - 1910年10月30日)
スイスの実業家、赤十字の創設者

デュナンはスイスの名の知れた旧家の長男として生まれた。名門校に入学したが、成績が悪く退学。YMCA(キリスト教青年会)で活躍。デュナンはYMCAを世界的組織にすることを提唱。デュナンによりパリで「YMCA世界同盟」が結成された。「人類みな兄弟」と答えたことで有名。

1901年、第一回ノーベル平和賞を受賞。賞金は赤十字社に寄付。彼の誕生日である5月8日は国際赤十字デー。赤十字の父と呼ばれる。赤十字の活動は捕虜への人道的救援、災害被災者への救援と拡大していく。

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第10回 へいわ845 平成29年9月13日(水) ナイチンゲール その2

フローレンス・ナイチンゲール
クリミア戦争中、スクタリ(トルコ)の病院で看病をするフローレンス・ナイチンゲール

「白衣の天使」、「ランプの天使」と言われたナイチンゲールの姿は、「平和の天使」でもありました。傷ついた兵士は彼女の姿を見て、戦争の愚かさと平和の尊さを知り、その気運は世界中に広がりました。彼女の活躍は「万国赤十字社」創立の気運を作りました。

①敵味方の区別なく看病しよう。 ②看病の仕事をする人には絶対に害を加えない。 ③病院の印として白地に赤い十字の旗を揚げる。  これがジュネーブ条約の骨子となっています。

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第9回 へいわ845 平成29年9月6日(水) ナイチンゲール その1

へいわ講義用画像
フローレンス・ナイチンゲール(享年90)
近代看護教育の母。
1820年5月12日(江戸・文政時代)生。
  • 1910年(明治43年、韓国併合の年)、90歳で逝去。
  • クリミア戦争で負傷兵に献身的に尽くす。
  • ナイチンゲールの誕生日である5月12日は、国際看護師の日。
  • ロンドンにはナイチンゲール看護学校がある。これは世界初の宗教系でない看護学校である。
  • 当時看護師は病院で病人の世話をする単なる召使いと見られ、専門知識の必要がない職業と考えられていた。また、「白衣の天使」と呼ばれた。
  • ナイチンゲールは、「天使とは苦しむ者のために戦うものである」と言った。

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第8回 へいわ845 平成29年8月30日(水) マザー・テレサ その2

へいわ講義用画像
マザー・テレサ(享年87)

マザー・テレサは日本の講演会で話しました。

「この豊かな国で大きな心のまずしさを見ました。人間にとって本当のまずしさとは、社会から見捨てられて自分はだれからも必要とされないと思うことです。」

マザー・テレサは、身寄りのない「死を待つ人々」に温かい手を差しのべました。

マザー・テレサはハンセン病の人たちのために「平和の村」をつくって救いの手を差しのべました。

また、捨てられた孤児のために寄付をあつめ、愛の住処を作り迎え入れました。

インド、カルカッタの様子、参考資料

カルカッタの様子
カルカッタの様子
カルカッタの様子
カルカッタの様子

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第7回 へいわ845 平成29年8月23日(水) マザー・テレサ その1

へいわ講義用画像
マザー・テレサ(享年87)
カトリック教会の修道女
「神の愛の宣教者会」の創立者

講義目次

  1. 死を待つ人の家、孤児の家、平和の村
  2. 「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」
  3. ケアする相手の状態や宗派を問わない。尊敬する教派はカトリック。ノーベル平和賞の19万2000ドルはすべてカルカッタの貧しい人々のために使われた。
  4. 「死を待つ人の家」入口に堂々と Dying と書かれた看板

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第6回 へいわ845 平成29年8月16日(水) ワンガリ・マータイその2

へいわ講義用画像
ワンガリ・マータイ(享年71)
ケニア出身の環境保護活動家
政治家
ケニア共和国の位置

①グリーンベルト運動(GBM)

②ケニアは砂漠化の脅威に

③ケニアの女性中心に3000万本の樹を植えた

その結果、植えた樹木から採れた果実を売って収入にする女性が出てきて、女性の働き方の選択肢が広がることとなった。

④草の根運動の意義

国単位のプロジェクト等、大きなことではなくて、自分の身近な足元から少しづつ行動していくこと。それが実を結ぶことを証明した。

⑤木はCO2を吸収する

⑥無駄な消費が環境を壊す

ものを大切にする心が平和に繋がる

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第5回 へいわ845 平成29年8月9日(水)

へいわ講義用画像
ワンガリ・マータイ(1940―2011)
ケニア出身の環境保護活動家、政治家

人種、女性、環境は世界の平和を考える上で不可欠です。

マータイは、アフリカ・ケニア生まれです。

「環境、民主主義、平和への貢献」でノーベル平和賞を得ました。アフリカ人女性として史上初です。

来日して「もったいない」という言葉を知り感銘して、国連の女性委員会で全出席者と「もったいない」を唱和し、「MOTTAINAI」のキャンペーンを展開しました。国連平和大使に任命されました。著書に「モッタイナイで地球は緑になる」があります。

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第4回 へいわ845 平成29年8月2日(水)

へいわ講義用画像
ネルソン・マンデラ(1918―2013)
南アフリカ共和国元大統領、弁護士
南アフリカ共和国の位置

南アフリカは激しい人種差別の国でした。この人種差別をアパルトヘイトといいます。マンデラはこれに反対し、27年間投獄されたのです。獄中でも勉強を続け法学士号を取得しました。

釈放後、長くアパルトヘイト撤廃に尽くしたことでノーベル平和賞を得ました。授賞理由は、アパルトヘイト体制を平和的に終結させて新しい民主的な南アフリカの礎を築いたことです。

南アフリカ初の全人種参加選挙により大統領に就任。民族和解・協調政策をすすめました。

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第3回 へいわ845 平成29年7月26日(水)

へいわ講義用画像
マララ・ユスフザイ(20)
パキスタン出身、人権運動家

世界の平和は命懸けの人間の努力によって支えられています。平和を空気のように当たり前と受け止める私たちは、これらの人々の努力から真剣に学ばねばなりません。

このシリーズではノーベル平和賞を得たマララ・ユスフザイ、ワンガリ・マータイ、ネルソン・マンディラ等を取り上げます。

今日は、イスラム教徒の少女マララです。彼女の命懸けの生き方から、平和の尊さ、平和を守るにはどうしたらよいのかを学びたいと思います。

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第2回 へいわ845 平成29年7月19日(水)

へいわ講義用画像
ニューヨークにある国際連合本部

なぜ戦争は起こるのでしょうか。歴史を振り返れば、それは自国の利益を第一に考え、他国をかえりみない間違ったナショナリズムでした。世界が理想的な一つの国になれない以上、各国が話し合い、協調するルールをつくらねばなりません。

第一次世界大戦の反省から作られたものが国際連盟でした。国際連盟は失敗し、第二次世界大戦後国際連合ができ、現在に至っています。この国際連合の目的は、世界平和の維持です。

へいわ845の様子
朝の朝礼風景、講義中

第1回 へいわ845 平成29年7月12日(水)

折り鶴イメージ

平和とは戦争がなく世の中が平穏であることである。人類の歴史は戦争の明け暮れだった。現在も世界各地で戦争が起き、その中で平和が求められている。現代日本の原点は70年前の敗戦であり、そこから生まれた日本国憲法である。

日本国憲法は次の3つの基本原理を掲げる。

  1. 国民主権
  2. 基本的人権の尊重
  3. 平和主義

憲法前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」とある。

講義中の中村先生

講義を進める中村紀雄名誉学院長

掲載責任:中村紀雄事務所

中村紀雄名誉学院長プロフィール:
東京大学卒業。
日本ペンクラブ会員。